フェリックス・ゴンザレス・トレス《Untitled (Placebo)》(1991)

フェリックス・ゴンザレス・トレス《Untitled (Placebo)》(1991)

 

 フェリックス・ゴンザレス・トレスの《Untitled (Placebo)》は、セロファンに包まれた何百個ものキャンディが床に方形にしきつめられているだけという、ミニマリズム的といえるほどシンプルな形態をとった作品である。銀色のセロファンが窓からの光を受け、まるできらきらと光る絨毯のようだ。そして驚くべきことに、鑑賞者は警備員にそのキャンディーを自由に手に取り、食べることを促されるのである。いわゆる絵画、彫刻作品という視覚芸術を美術館に見に来た観客は多いに驚くことだろう。

 

 ときにキャンディが山のように積まれる形で設置されたり、包み紙が青色であったりカラフルであったりと、展示場所や時期によってこの作品の形態は微妙に姿を変える。しかしいつでも変わらないのは、キャンディの最初の総重量と、そのキャンディの絨毯が観客の介入により時間とともに形を変え最後には跡形もなくなってしまう、ということである。

 

 フェリックス・ゴンザレス・トレスは1957年キューバ生まれ。プエルトリコで育ち、ニューヨークの美術大学で学んだ。そしてそこで、アートの政治的・社会的な意義を追求した「グループマテリアル」の一員として活動をはじめた。彼は主に時計や印刷した紙、電球などどこにでもある凡庸な既成品を用いた作品を発表しており、この作品もその例外でないといえる。また移民であるという民族的マイノリティであると同時に、ゲイであるという性的マイノリティでもあり、この二重のマイノリティであるということが、彼のアイデンティティに大きく影響し、作品制作の動機に繋がっている。

 

 《Untitled (Placebo)》でのキャンディの最初の総重量とは、彼とエイズで亡くなった恋人の体重の総和である。観客の、「キャンディが食べられる!」という無邪気な欲望や喜びとは裏腹に、それは彼と恋人との「甘い」時間が時とともに残酷にも消え去ってしまうことを暗示する。

 

 「アートは、作品の形式や、出てくる形や、どんな風にその疑問がどのように表されているかということですらない。疑問がこめられているのは僕自身だ。僕が『Untitled(Placebo)』を作ったのはそれを作る必要があったからだよ。その作品が消えて、存在しなかったという状態を作りたかったという以外に理由はないんだ。ロス(トレスの恋人)が死んでいくという例えだったんだ。だから、作品が僕自身を放棄する前に、僕が作品を放棄したのだろう。作品が僕を破壊する前に、僕が作品を破壊したのだろう。それはこの作品にもたらす僕のちょっとした特権といえる。」 ArtPress 1995年1月号でのインタビュー

 

 彼と恋人の体重の和だけのキャンディが”ある”ということではなく、キャンディが不特定多数の人々に持ち帰られることによって、キャンディの絨毯が徐々に変形しそして消えていく、という変化自体、あるいは、あったものがなくなる、”無い”という状態が発生する、ということがこの作品の核となっているのだ。

 

 こういった、彼と恋人との関係を表現した同時期の作品には他に、《Untitled (Perfect Lovers)》がある。これは、安物の壁掛け時計が二つ並べられ、同時刻にセットされて時を刻んでいるというもので、二つの時計はそれぞれトレスと恋人を表している。この作品においても、トレスによって意図的に決められるのは最初に二つの時計を同時刻にセットするという最初の状態だけであり、二つの時計はその後、安物の時計であるが故の不正確さやパワー不足によって、少しずつ自然と時間の歩みがずれていったり、片方だけ止まってしまうのだ。こういった無力感は、”placebo(=気休めの薬)”というタイトルにも通じており、実際、当時のエイズ治療の薬は気休めにしかならないものだったことから発想されたのだろう。 1990年前後は、マイノリティによる社会的な活動が活発な時期であり、ゲイもその例外ではなかった。《Untitled (Placebo)》や《Untitled (Perfect Lovers)》の場合、そういった声高な主張というよりは、そこにはただ、最愛の恋人を失った悲しみと、人の命の儚さや尊さを思い起こさせる、鎮魂のための儀式のような静けさがある。

 

 《Untitled (Placebo)》はそういった私的、あるいは詩的な表現であると同時にまた、観客が作品に関与するということ、鑑賞者と警備員との会話が発生すること、展示のたびに作品は補充されなければならないこと、五感の中で身体から最も遠い感覚である視覚による芸術のための美術館という場において、身体に最も近い感覚である味覚を観賞に用いるということなど、作品と観客の関係や、美術館という制度への問いかけという側面も持っている。また、矩形に並べられたキャンディは絵画の様式を彷彿とさせ、それが直に床に寝かせた形で設置され時間とともに崩壊していくということを、デュシャン以降の伝統である美術という制度への言及という面からも考えられるかも知れない。

 

  トレスは1995年、恋人と同じくエイズで若くしてこの世を去った。しかしその後も、彼(と恋人)は作品の鑑賞者へと自らの身を切り自己犠牲愛的に与え続け、そして彼の一部を身体に取り込んだ鑑賞者は世界中へと散らばってゆく。キャンディが補充され続ける限り、彼と恋人の日々の、あるいは人が生きるということの儚さは、ただキャンディーという媒介を通して、世界中で永遠に生き続けると言うことが出来るのではないだろうか。

 

 

参考

アートナウ ユタ・グロズニックほか

現代アート事典 美術手帖

minfish.jp http://www.minfish.jp/text/felix/index.htm

 

2012.7.25